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Freedom Librray Field 2009

【Blog開設目的】自由なるライブラリーフィールドの創設に伴い、発表者による発表要旨のアップ及びその関連資料を入手できる環境を実現する。また、イベント情報等を有志がアップし情報を交換できる事も可能にする。


 
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「鬼頭梓と図書館建築」発表要旨                                  河原田 伊左男

はじめに 
私は現在、図書館の庶務を担当しており、図書館の構造やサイン・ポスター類の効果等、施設面について考える機会が多い。鬼頭氏の設計による図書館で働いていることもあり、今回の発表では鬼頭氏が語った言葉を通じて図書館を施設面からとらえてみようと考えた。

Ⅰ 略歴 
1926年(昭和元年)東京で生まれた鬼頭氏曰く、高校での成績が悪く建築学科は人気が高いことから、人類学科に進学したが、建築への思いは断ちがたく、1946年、建築学科へ再入学した。
 大学卒業後就職した前川國男建築設計事務所では、国会図書館(1961年)の設計に関わることになる。独立後は、日野市立中央図書館長 前川恒雄氏と出会い、公共図書館のあるべき姿を目の当たりにする。
 また、学生時代には教会で當子氏と出会い、後に結婚。當子氏は慶應義塾大学図書館学科第1期生で、国際基督教大学図書館の館長を勤めることになる。
 このように氏は図書館関係者とのつながりが深く、自然に図書館のことを考えるようになったといえよう。
 独立後のデビュー作は東京経済大学。最後の作品となる函館市中央図書館まで、30以上の図書館を設計した。

Ⅱ 原点 
図書館の建築家として、以下の点が原点であるといえよう。
 1 戦争と建築
  次の発言から分かるように、常に戦争がつきまとい、それゆえ、戦争により破壊された「生活の根拠地」を再生したいという思いが強くあった。
「小学校五年生のときに日中戦争が始まって、中学四年のときに日米開戦。戦争が終わったのは大学一年のときです。生活が破壊され、当たり前の生活が大切なものなのだと感じていたんです。
 ごく当たり前の『生活の根拠地』、生活の拠点のようなものをちゃんと作りたいということ。そんな気持ちが僕を建築に向けました。僕の場合は造形的な興味よりはそちらが先です。」-『建築家の自由』p.33

 2 民主主義
  戦後の民主主義の考えが氏の図書館設計にも大きな影響を与える。その具体的な形が「開架と貸出」であった。
  「全館、全蔵書を開架としたI.C.Uの図書館と、貸出しにすべてを集中した日野市立図書館とは、大学と公共の図書館における新しい誕生の先駆であった。その背後には、それを支える民主主義の思想があった。」『私の図書館建築作法』p.33

Ⅲ 図書館建築のキーワード 
氏の図書館設計のキーワードとして以下を挙げることができる。
 1 開架
 2 ノーステップ・フラットフロア
  鬼頭氏が福田なをみ氏から聞いた言葉。段差がない平らな床と、できる限り広く単純明快な平面を追求した。利用者には老人、身体の不自由な人、乳母車を押す若い母親、小さな子供がおり、図書館員が日々肉体労働する場でもある。段差がその障害にならないように、大量の資料を自由に適切な関係で配置して、利用者にとって最も分かりやすく利用しやすいように、図書館員にとって最も働きやすく管理しやすいように、その場所をつくるためである。
 3 利用者の領域・図書館員の領域
 「利用者の領域と図書館員の領域とを適切にそして明確に区分して、その接点であるカウンターを二つの領域のそれぞれ要の場所に置くことができれば、それはすなわち図書館全体の基本的な構成が出来上がったことを意味している。この基本的な構成は図書館建築の設計にとって最大の要点」-『私の図書館建築作法』p.13
 4 家具
 「図書館の設計は、その最初のスケッチから、かならず家具の配置が書きこまれる。(中略)多少過剰な言い方をすれば家具の配置が建築の設計を支配する」
-『私の図書館建築作法』p.17

Ⅳ 設計例 
30を超える図書館のうち、いくつか特徴的と思われる図書館を挙げた。ここから分かるのは、図書館を設計するにあたってはさまざまな制約があり、設計哲学とどのようにすり合わせるかが大事だということである。
 1 東京経済大学図書館
  書庫を連続した形では増築できない、開架閲覧室と目録や階段などの間に間仕切がない、最上階(主階)内部には柱が無い、など、従来の図書館建築の教科書にそむくものだったが、現代の図書館の活動と機能を追及していく上では問題ではないという判断を下した。

 2 東北大学附属図書館
  日本初の大規模な地下書庫を持つ図書館。今では地下書庫は普通のことだが、1972年当時は、湿度や水害が起こったときのことを考えると難しいと考えられていた。
  たとえば甲南大学では、1938年の水害の際に1階の教室が土砂で埋まるということがあったため、1978年の建築時には、書庫は3・4階に作られた。
  関西大学は東北大よりもだいぶ後の設計であるため、技術的・経験的に問題なしとされたが、それでも貴重書庫だけは3階に置くとした経緯がある。

 3 日野市立中央図書館
 「開架貸出室の1階と独立したレファレンス室で、公共図書館のあるべき姿を提示」した。

 4 同志社女子大学図書館
  大学にとって由緒ある庭をつぶすことに同窓会から反対があり、庭の地下に図書館を造ることになった。
  「地下にもぐることによってはじめて広い図書館らしい床を手に入れることができた。地上の案の時よりは、はるかに使いやすいすぐれたプランとなったのである。」-『図書館建築作品集』p.80
  
 5 関西大学総合図書館
  第一グラウンドの半分をつぶして建てられたため、大学構内中央部に奇跡的に広い土地を得ることができ、ノーステップ・フラットフロアを理想的に実現できた。しかし、ただ広ければよいというものでもなく、限度を越せば非能率的、非人間的な空間になってしまう。その解決策として、閲覧スペースに敢えて屏風のような壁を作るなどした。

Ⅴ 図書館建築で大切なこと 
図書館は一度建てれば数十年使うものゆえ、我々はそうそう建て替えに立ち会うことはない。
 しかし、建築家がどのように考えて設計しているのかを知ることは、決して無駄にはならないだろう。それを知っていれば、現在においてどのように図書館を活用すべきか、そのヒントとなるように思われる。
 現在の関西大学図書館を建築する際に、鬼頭氏が述べた言葉を肝に銘じたい。
  「図書館の大きいことがそれほど自慢になるかどうか。図書館って『建物』はあくまでも最後ですよ。何よりも大切なのは、『資料』で、次は、『図書館の人間』です。資料と人がよければ、施設や建物は相当わるくても大丈夫です。この優先順位をまちがえないほうがいい。」
-「設計者鬼頭梓氏に聴く」

                                    以 上

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このたび大阪芸術大学の古島 佑起 さんの「~今、図書館の話をしよう~」がサブタイトルに決定しました!いろいろお寄せいただいて感謝です!このサブタイトルの精神にそって自由なるライブラリーフィールドを開催していきますので、宜しくお願い致します。新年度が落ち着いたあたりの6月くらいに第三回を開催したいと思っています。

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